これだけ、たくさん人がいて、頑張れば人の前に出れるとか思っているのは単なる脳天気だと思う。
石油やガスあるいは原子力に頼るようになって、
* 頑張るのは人間でなくエネルギー資源
になった。それは1900年からそう。
でも大学院生になって2年も勉強すれば大体は論文が書ける。つまり一応先頭に出れる。それは何故かというと、
* 頑張る方向は色々あるから
学問の範囲が深くなればなるほど、範囲も広がる。なので、人のやってないところなら先頭に出るのは難しくない。
でも、人のやってないところを知るには、人がやってしまったところを知らないと。なので、学ばないで前に出れるというわけではないです。どこら辺がすでにやられているかは無駄に長く生きている先生に聞けばよろしい。
頑張って、同じ所を掘っても、もう何も出てこない。だから、IBMが Database研究していたら、他で Database 研究するのは無駄だという時が確かにあった。でも、結果的には IBM が Database で一人勝ちということにはなってない。問題は、
* まったく同じではダメ
なので、あって、違うところをいかに探すかってことなわけ。
でも、まったく違うものを研究しようと思っても、何も手がかりがない。手がかりがないとやる気はでない。
* やる気は、何かすることで発生する
ものだから。例の「気が練る」とおんなじ。なので、
* やる気がない時は人と同じことでもやらないよりまし
なんだよね。なので僕は車輪の再発明はそんなに嫌いじゃないです。一つは、
* 何か作ったことで新しい視点が得られるから
それは、やらないとわからない。ちょっと考えて、すぐにわかることはみんな考える。でも、何か達成してから得られる視点は、何もしない人には絶対に得られない。
多様性は車輪の輪っかみたいなものだが、車輪の再発明は車輪のスポークみたいなものだと思う。スポークをたどることを嫌ってはやる気もでないし、最先端にも出れない。そういうことなのだと思う。
あんまり違う方向に突っ走ると孤独になるけどね。
* 今、全速力で走らないで、いつ走るんだ?
再発明は助走みたいなものかも。
必要なのは、同じ方向に頑張ることではない。たくさんの人が異なる方向を向いていることが大事。頑張りも多様性が今の科学技術には必要なのだと思います。
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