公理論的集合論は終盤紙面が尽きたのか generic filter から駆け足な感じ。シェーンフィールドは、ZFの中でforcing base のモデルを作り、連続体仮説の論理式の否定を実際に証明していくなんて方法らしい。どうもシェーンフィールドは出て来る式は述語論理に閉じていると言う立場で、ある意味わかりやすいんですが、繁雑で直観的でない。コーエン先生のが、何故そういう手法を取るのかが説明されているので、まだわかりやすいみたい。でも、まだ、乗り切ってないんだけど。
でも、選択公理ACに関しては、かなり納得できました。εδには、そんなにつまずいたと言う記憶はないんだけど、選択公理にはつまずいてました。使う必然性がよくわからなかったし、導き出される結果にも興味を持てなかった。すると現代数学の大半からはじき出されて、しまうのでよろしくなかったです。選択公理の同値な三つの記述とか言われても、さっぱり直観が得られなかった。
でも、今回は推移的集合(x⊂yならx∈y)を使ったZFCのモデルってのを勉強したので選択公理の必然性もわかりました。選択公理の一つの形は「すべての集合は整列される」ってことなんだけど、つまりは、部分集合をすべて要素として含む推移的集合の列と対応付けられるっていう要請なんだよね。
推移的集合だと部分集合と要素を区別しなくて良いので簡単。で、それを使って、ZFCのモデルを作れる。つまり、ZFCに出て来る集合ってのは、順々に並べれた推移的集合のことだと考えて良いってこと。推移的集合は整列されているわけなので、選択公理は自明。さらに、今回、ZF のモデルを集合として作った時に、それが非可算集合だとGCHが成立するってのを勉強したので、
実数を集合と考えるなら AC/GCHが成立する
と納得できました。当時、僕が欲しかった選択公理に対する直観はそれだったと思われます。そして、それが整列定理を導いて{x|¬x∈x}を禁止して、それが到達不可能基数だと考えると集合論の無矛盾が導かれると。美しいです。
ピタゴラスの定理の場合はそれが成立しない幾何のモデルを早目に知ったので抵抗はなかったんですが、選択公理の場合は成立しない場合があるってのが、結構、邪魔してた。 ¬ACな集合論のモデルに対応する現実世界での存在物はあるのかってことだけど、可算集合モデルか非集合なモデルと言うことになので、変態的。役に立つ対象がないなら無視して良いと考えるのが心の健康には良さそうです。
つまり選択公理よりも自明に整列されている推移的な非可算集合モデルを要請して、そこからGCHを導いて、それが実数を集合としてとらえた時の集合論になるという教え方が良かったみたい。僕みたいな人には。モデル先行な集合論の学び方だね。
実数自体はωの部分集合全体(2進数の小数)として自明に整列されるわけだし。数学者がそんな風に考えているのかどうかはわからないけど。 述語論理を納得するにはエルブランモデルを理解するのが早道だったので、集合論も構成可能集合によるモデルを早目に学ぶべきだったらしいです。
GCHは、整数の部分集合全体としての実数の濃度と、整数の濃度の間の濃度はないってことだけど、実数を定義するものが足りないと、その間の濃度を持つ集合ができてしまうと言う感じらしい。いや、もっと工夫して作るので、そんなに簡単ではないみたいですが。
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