Sunday 2 January 2011

人間の本能のメカニズム

近親憎悪とかは生理的にプログラムされていて、そうなるように出来ているってな説もあるようです。近親相姦を防ぐ意味もあるだろうし、社会的な振舞を規定する意味もあるんだろうし。

東工大の心理研にいた人は、そういう人間の本能を理解することで、理性的に振舞えるようになると考えていたみたい。まぁ、そういう考え方もあるだろう。

でも、その「理性」ってなんなの? 頭で考えて良かれと思っても、しょせん、人間の考えの限界の中でしかない。個人のレベルで最適化したって自分勝手になるだけ。家のレベルなら家長中心になるし、国のレベルなら戦争だ。つまらん。地球レベルまで上げてみても石油を使い尽くすか原子力にするかぐらいの選択。人類単位の時間だと数万年だろうけど、あと数万年あるなら意味はあるが、人類には、それほどの時間はないらしい。

なので、理性とかも僕はあんまり信じてないかな。だからと言って、好き嫌いの奴隷になるのもバカバカしいと思う。せめて、自分の廻りぐらい幸せにしてやれよってなところです。それは、そんなに辛いことじゃないし。まぁ、少しは我慢はあるけど。

つまるところ何かって言うと「たまには実家に顔出すぐらいの我慢はしろ」ってだけです。去年も同じようなこと書いたな〜

親の介護から、そろそろ逃げられなくなる歳だが、ババ抜きだとは思わない。助け合えば楽にはなります。自分で全部背負い込まない。お金があれば何とかなるところもあります。老いも認知症も、人に組み込まれた社会的な本能の一部なのだと思う。それに飲み込まれるのではなく、無視するのではなく、押さえ付けるのでもなく、一緒に生きていくことができるはずだと思う。社会の助けがあれば。

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