確か、いきなりアニメを作るわけにいかなくて、最初は漫画でと言うことだったようです。なので、漫画が先。
なのですが、二時間の映画と漫画は違うわけ。エピソードは共有されているわけですが、話は全然違います。結末も全然違う。漫画の方は強力に時間がかかっているので、腐海が地球の環境をなおして大団円ってのは、もう時代が許さない。
読みなおしてみると、ナウシカが選択しているわけではなくて、時代の流れの一つに過ぎない。墓所の運命はある意味では、既に決まっていたのだと思います。王様とか皇弟とかは、所詮、狂言廻し。廻りがいかに担ぐかと言うこと。
汚染は、おそらくはダイオキシン的なものではなくて、ナノマシンとかなんだろうな。墓所のような局所的なものナノマシンとは、あまり相容れない気がするので、墓所は飾りなんじゃないかと言う仮説も成り立つかなぁ。少なくとも複数作るでしょ?
もっとも、カリオストロでも、そうなのだけど、整合性よりは別なものを見るべきでしょう。
人がたくさん死んでいるのに、何故、赤ん坊を助けるのか、トリウマに涙するのか。そこで、悲しみの軽重を大きさで判断するのかとナウシカは問うわけだけど、「大域的な判断」と「局所的な判断」の両立がナウシカの特色なのだと思う。そこは神の領域だけど、単一の存在では難しい。
たぶん、大学のSF研で見ろと言うことになって見に行ったのだと思います。カリオストロは既に見ていたので、その影響かも。5月の漫画祭で、併映はパーマンかなんかでした。子供がうるさかった。「あんなの子供にわかるわけないよ」ってのが、SF研での総括みたいな感じだった。
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