15回授業の他に試験やれってことらしいんですが、実は、大学に来てから試験って、やったことない。いや、それは嘘で、Cisco Network Academy は、試験と実習だけの授業だな。
シラバスでも、大体、3回分位は実習と演習にあててるはずです。インチキと言えば、そうかも知れないが、実情に近いと思う。間に、少し、休み入れないと学生が息切れするし。5月の休みは良いんだが6-7月で授業が続くと厳しい。11-12月とかね。
レポートで十分だという授業もあるし、演習ばっかりなのに試験やっても意味ないし。
試験中心なら合格すれば余計な授業は要らんし。
授業は、所詮は、入口に過ぎなくて、どんな分野でも、その後に「数百頁の教科書」と「膨大な論文」が待ってる。むしろ、早めに、そっちに手を付けて欲しい。博士や修士にいく学生はとくにね。
一方で、卒論が無理な学生も多い。前に比べて学生のレベルが落ちているのは周知の事実。卒論なんて楽勝だと思うんだが、実験程度もこなせないのも多い。もちろん、心の病的な問題もあるんだけど。でも、
レベルが低いのが、そんなに悪いのか?
平均より時間がかかるだけだろ? オリンピックじゃないし、トップクラスの研究を要求しているわけじゃない。研究室の手助けになるぐらいだって良いよ。その程度でも、居れば卒論ぐらいなんとでもなります。単なる内部発表じゃん。自信を失うために大学に来てもらっているわけじゃないです。優秀な人も、そうでない人も成功体験を得て卒業して欲しい。どっちかって言うと企業も「出来る学生よりも、文句言わずに、仕事してくれる学生を望んでたり」するわけだし。
もはや、授業の単位だけで卒業するオプションもあった方が良いと思う。名前の付け方だけだと思う。学士、修士、博士に、一個、付け加えれば良いんだよね?
つまり、学生も先生も授業も学問も多様だってこと。大学の授業で教えることだけで使い物になるわけないし、学生に自由な時間があることも重要だと思う。
大学はもっと多様性があるべきだと思う。高卒でなくても受け入れても良いし、学士すっとばして修士でも良い。失業対策で大学生ってのもあり。その方が、学生も大学でいろんな人に会える。
自分の規準的にも、論文書いて公に発表できるなら修士で良いと思う。査読論文が通るんだったら授業なんて関係ない。いや、まぁ、いい加減な査読ってのも世の中にはたくさんあるが、それはそんなものだし。ラッキーな博士はいくらでもいるさ。
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