Friday, 10 December 2010

John Lennon, Imagine, Across the universe

なんで、宇多田が Across the universe なのかと思ったら、昨日は、没後30年だったんですね。彼女は、もちろん real-time では知らないわけだ。Across the universe は、その頃の気分に合っていて、カセットのエンドレステープに入れて、屋根の上でずーっと聞いていたりしてました。

やっぱり、Imagine だけど、The Beatles の時代じゃないんだよね。Imagine ではなく、比較的似ているが異なる Across the universe を選曲したのは何故なんだろう?

Imagine は、No possesion とか言っているので共産主義を意識しているわけだけど、だからダメだってわけではないと思う。もちろん、Imagine がうまくいかない理由はいくつかあるが、

 みんなが、そう思えば、うまくいく

の「みんな」って辺りだな。それが入って来ると、だいたいうまくいかない。

不思議なのは、人間の遺伝子の多様性は、他の種よりも狭い。下手するとチータと同じぐらい。数千人の規模まで減った時期があると言う説もあるらしい。ノアの箱船みたいな感じだけど。

 それだけ、均一な種

なんだよね。大きさもあまり変わらないし。言葉を話さない国とかないし。それにも係わらず、

 わずかな差を原因に嫌悪したり殺したりする

のが不思議。それは、おそらく、

 そうプログラムされている

のだと思います。おそらく、言語自体が、それを強制している。言語が差を拡大するように作られているのだと思う。例えば、

 方言、テクニカルターム

が拡大するようにできている。つまり、新しい単語や言い回し、時間が立てば、文法や発音も、どうしようもなく多様化してしまう。それでいて、狭いグループの中では通じる。そして、

 方言を話す人を笑う

のが普通の人のすることらしい。「お前、なまってるよ」。難しい敬語の仕組みを構成しておいて、

 正しい日本語を使いましょう

と言うわけだ。それが最終的にどんな結果を生むかを見たのは、それほど昔ではないのにね。

と言うわけなので、「世界の人が英語だけを話せば解決」ってわけにもいかないらしい。そもそも、イギリス自体が多様な方言の集合だし。中世の城壁都市が、一つ一つ別な言語を生んでしまったわけ。

もはや、単一の言語しか話さない人ってのは少数派な気もするが、別にバイリンガルだから寛容かと言うと、そうでもない。むしろ、逆な感じ。Nothing gonna change my world になっちゃう。それも、必然か。

それでも、Internet が世の中と人を変えるのかとか思っていた時もあるが、Twitter とかでも、数千が限界かな〜

生きていたら 70 歳の John Lennon が、今の世の中、特に、911 からイラク戦争あたりをどう評価するのかは聞いてみたかった気もする。いや、それを聞くことができないから、Imagine なのかも。

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