Saturday, 14 March 2009

教条主義と改善

病院廻りしてますが、公立病院の事務の化石度ってすごいです。ここは昭和30年代か! ワークフローが出来てないのに、びっくり。こういう人が来たら、こういう手順で処理するってのを、その場で考えているという感じ。

文書で、どういう手順で何をするかを記述するのは、本来は、ワークフローを確定して、素早い判断をするためにあるのだと思う。

でも、もちろん、その手順は日々時代遅れになってしまう。それを改善していくのは当然だし、必須。「入社3ヵ月で、改善点を指摘して来ない新入社員はだめだ」みたいな話もある。自分の業務の目的を正しく理解していれば、自然に、

 こうしたら良くなるのではないか

となるはずです。もちろん「良くなる」方向ってのは絶対的ではないです。それは、アローの不可能性の定理でもある。だから「どうせ、いろいろやっても無駄」と考えるのは、怠け者には都合が良い。でも、そう都合良くはいきません。

 こちらが良いという正解がなくても、いろいろ試すべき

何故なら、顧客の要求、組織の目的と言うのは、本質的に多様だから。多数の人が関わっているのだから、その人の数だけ要求や目的がある。そこで、手順や制度をいろいろ動かすことによって、いろんな人に順番に利益が廻ることになる。

いろいろ試してみることが重要だと思う。それが、例え、ダメダメであっても、ダメダメになることがわかっていても、ダメダメだったとしても、「何か、一つ良いところがあって、それで利点がある」なら、短期間でも試してみる価値はあると思う。

功利主義的な静的な最適解は存在しないわけなんだけど、時間空間的な確率分布として、いろいろな人から見た期待値全体をならすことは出来るってことかな。

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