クーンで停まってるのあれでしょ的な話をTwitterで見かけたので... もっとも、これも既にかなり前。
4章までは、クーンの革命とかパラダイムの方を批判していて、連続的な変化だが急激に起きてるとか、科学者の気が変わらないわけじゃないとか。
部分的に入れ替え可能な網状モデルとかは、ある意味で当たり前なわけで、全体的にはクーンとそれほど対立しているわけではない感じ。
割と普通。この手の議論は科学技術の現場的には各論的に変化しているので「一緒くたな理解」とはそぐわないかな。
ところが、5章では、どちらかと言えば科学哲学の研究者の認識的実在論をばっさり斬りまくる。気持ちよい。
科学が実在に沿って発展したからうまくいっている
みたいなのを、後付けとか別に実在と関係ないとかで片付けていく。まぁ、そこで尻切れとんぼ的に終わってしまうんですけどね。
訳者の解説が長いのですが、ラウダンの立場、自然主義とかが説明されてます。でも訳者は実在論よりなのね、
いまどき、物理理論を学んで実在論者でいるのはかなり難しいんじゃないかと思うんだけど。
計算もできなければ予言もできない紐理論
ラグラジアンとハミルトニアンと観測値の関係としての物理理論
高次理論を予想しながら、それを見えないものとして作られた繰り込み理論
質量や真空の非対称性から導出する
情報論的重力理論
とかに実在としての思い入れってできるの? ラグラジアンとか作用って実在なのか?
解析力学は観測値の相互関係みたいなものを定義するからなぁ。
エイヤーは論理実証主義は死んだみたいに言ってたわけですが、また、物理学者や数学者が引退して哲学者になるといろいろ賑やかになるのかも。
パラダイムに関しては今の
検査シーヤ派とスンナ派の議論
統計学者のベイジアン的立場の選択
BI/リフレ論者とハイパーインフレ論者の喧嘩
構成主義的数学の扱い
とかがわかりやすい例になっている気がする。科学哲学は、それらに正しい指針を提供するべきだと思うけど、
それほどの成果と理論と説得力を科学哲学は持てなかった
ってのもそうかな。
ラウダン 科学と価値
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