(A) わかってること前提に書いてるよね?
なのが多い。人名や定理の名前だして、それで終りみたいな。それは、読めないよ。
あと、いつものことだけど、日本語でなく原書や原論文が良いようです。
論文はわからなかったら落されるが、わからない本は落されない
ってのがあるからな。
もう一つは、
(B) 物語がわかっている前提
ってのもあるのかなぁ。関数型言語とかやっている人は、どうも、
論理的な仕様からアルゴリズムを自動的に生成する
っていう物語を持っているらしいんだけど、それに共感できないと読むのが辛い。
(A),(B)が改善されてる分だけ読めるみたい。もっとも推論能力/集中力自体は落ちてるので、難しいところではやっぱり、止まってしまうみたいです。
本には量的な制約があるから、証明には省略が付き物なんだけど、たまに乗り越えられないことがある。めんどくさくて追えなかったり。そこをやらないとダメなんだが…
今はIsabelとかの定理証明系があるから、それで、
省略抜きの数学書
が書けると思うんだけど、どうなんだろう? それは、読むものとは違うわけだけど、さらにそれを、
文芸的定理証明系
みたいなのにすることはできそう。
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