Thursday 10 November 2005

著作物の市場が調整するもの (fj.soc.copyright)



お金の話の続き。



市場ってのは何かを調整するためにあるわけで、物品と同等の対価を得るなんていう錯覚は持っている人はもはやいないと思うが... そういう意味で値切らないのは、市場原理を軽視しているとも言えるね。買わないのは値段を下げる交渉の一つなのでいいんだけど。



昔、著作権の市場で調整されているものは何かって fj で聞いたことがあるけど、誰も答えられなかった、あるいは、答えなかったな。話はそこで終りだったので別に何も書かなかったけど、誰かが答えたら書くつもりだったのは、こんな感じ。



もちろん、調整させるべきものは、著作物の価値でしょう。良いものほど良い値段が付くべきだ。あれ? でも、良いものだったらたくさん売れるわけなんだから、一つ一つには高い値段を付ける必要ないよね。むしろ、たくさん売れると判っているんだったら一つ一つは安くて良いはず。



そもそも市場で高い値段を付けるのは、あまり売れなくするためだよね。だから需要と供給が釣合うわけでさ。でも、無限にコピー出来る著作物では需要と供給ってのをコピーの数で計ってはいけないわけ。当り前だよね。当り前だろ? もし、普通の市場で無限にコピー出来るものを売ったら、価格は0です。これも当り前。



だから「CD一枚のコピーあたりいくら」って売り方自体が間違っているわけ。それは市場原理になってません。もともと、そんなシステムじゃなかったしね。働く必要のない貴族が作るものが音楽であって、その対価は0で良かった。で、それでは労働者階級が音楽とかプログラムとか作ったときに困るので著作権なんてものを考えて出したわけだ。でも、それを考え出したのは作曲家とかではない。レコード会社です。だから、レコード会社の都合の良いように出来ている。そのあたりから矛盾がでてるわけさ。



市場原理はコピーフリーの著作物には働きません。だから、そのあたりに市場原理を導入してもだめ。もっと著作者に直接市場原理を働かせるべきだよね。売りに出すのは著作者そのものであるべきでしょう。良い著作者がより良い環境で作成できる。あるいは将来性

そのものを売買できる、そんな市場であるべきだよね。それは、まぁ、一種の株式市場みたいなものだな。



しかも市場が安定するためには価値逓減の仕組みが入っているべき。つまり100万枚コピーを売ったら1万枚の100倍儲かるっていう仕組みではだめだってこと。

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