地球全体と、国だと、人数的には2桁位の差でしょ? すごく人口の少ない国を除けばさ。別に、郷土愛でもいいんだけど、真っ先に教えるべきなのは、
全地球に対するIdentity
だよね? (たぶん愛ってよりはIdentityだろ?) これは、宗教でも同じだと思う。
一つの宗教にcommitするなら、他の宗教にcommitした人と整合性があるべきで、
その整合性を構成するメタ宗教
みたいなものがあるはずだよね?
何か、そんなことを30年前に中学生の日記に書いていた気がするよ...
ベトナム戦争で良く使われた「自分の家族が教われたらどうする? だから、今のうちに共産主義を叩きに、軍隊に入ろう」論法も、
粒度の異なるIdentityを利用した詭弁
なんだよな。それは「部分と全体」に関する哲学的な問題でもある。
「カーター破局」の統計的な人類の寿命の計算(150-250年)が示しているのは、実は、
今が、人類の絶頂期だ
ってことでもある。今の状態が持続するような社会ってのが、現実的な目標でないなら、次善の目標はなんだ?
もちろん、個人の幸せを追求しつつ、人類全体が地球全体に対して、何を残せるか、あるいは、何をなすかっていうことだよね。
キリスト教の「産めよ増やせよ」だけじゃぁ、足りないよな。「月に行きました」だけでも、足りない気がする。人類の可能性って、もっとあるよね?
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