Edit-80 はマイクロソフト謹製。ラインエディタ、つまり、ed/ex に相当するものですね。これで、Zilog Mnemonic を書きまくってました。Macro-80 というアセンブラです。
p とかで表示。r で置換とか、そんなのだったはず。なので、ex は割とすんなり入れました。
その後は、Word Master を使ってました。Word Master はテキスト/プログラム用で、Word Star が整形文書用。. コマンドとか使う、まぁ、roff みたいなものでした。これを真似て作ったのが、一太郎だよね。
Word Master はダイアモンドカーソル、つまり、control-ESDX がカーソル移動なスクリーンエディタでした。画面スクロールを繰り返すと、途中から書くという技を出して非常に高速だった。Word Master から vi に移行したわけなんですが、糞遅いと思いましたよ。
自作機では、GAME-09のスクリーンエディタを使ってました。ってことは、スクリーンエディタ部分は、アセンブラで自分で書いたってことだな。6809 のアセンブラは、スクリーンエディタで書いて、メモリからテープかROMに焼いてました。
FLEX-9 に移ってからは、何使っていたんだろ? PC 8001 を端末にしていたか、なんか、自作CRTC 上のエスケープシーケンス書いたのか。はたまた、ラインエディタだったのか? EDIT とか言う名前だったような気もする。でも、たぶん、GAME-09 で書いてたんじゃないかな?
40x20しかない小文字の表示できないGDCで、C の練習してましたが、今から、考えると、いったい何やっていたんだか。でも、libc とか読むのは勉強になったな。
化学の卒研は、FLEX-9 と PC-9801 (CP/M86 + C86) でやっていたはずです。Counter と AD converter のボードとかを作った記憶がある。助手の人が、僕が書いたアセンブラの割込み処理の入った C を読もうとしていて偉いと思った。そうだよね、卒業しちゃうから理解しておかないと。
ってわけで、MSDOS 使うまもなく、CP/M から BSD Unix に突入しました。なので、EDLIN は使ってません。嫌いです。Note Pad は許す。
DynaBook で MSDOS つかった時に「CP/M86 から全然進歩してない」のにびっくりした記憶が...
OS-9 上の scred も結構使いましたが、micro emacs か steive いれてたと思う。
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