多様性の反対は単一性で、一つのものだけから構成されている。そうすると、その一つものの脆弱性を攻撃するのものが出て来た時に一巻の終りになってしまう。
多様性を失って困るのはリスクというわけ。効率性は、その逆で、一つのことに集中した時に最大になる。
石油、車、トウモコロシ、Windows
とかかな。
寡占したものも進化はしているんだけど、なぜ、それが優れているかと言うと何かを犠牲にしているから。寡占下で最適化すると、それは外からは歪みに見える。国鉄みたいになっちゃうわけだな。
もちろん、犠牲にしてまで、得るべき物があるなら、寡占は必要な状態なんだけどさ。人類に取って、それほどまでに達成したいものってなんだろう? 有限な資源しか持たない地球にしがみついている限り、長寿と繁栄はもうないわけだし。自分だけ長寿と繁栄すれば良いみたいな感じ?
競争原理が働いているなら、必ず一つのものが良くも悪くも選ばれてしまう。競争原理と言いつつ、その判断規準は恣意的。絶対的な善悪なんてないわけだし、「みにくいあひるの子の定理」とかもあるし。なので、競争原理と多様性は本質的に相容れない。(このあたり、A*とかニューラルネットワークとかゲーム理論がいまいちうまく働かない原因なんだと思う。何に対して最適化するかってこと自体が曖昧)
多様性と競争原理を両立させたかったら、競争する範囲を限定してやれば良い。鎖国とか関所とかを連想するが、オリンピックに色んな競技があってお互いに混じらないようなものだな。異種格闘技戦がつまらない理由でもあるかも。
でも、範囲をどんどん狭くしていくと量産効果が落ちるし、範囲の外で多様性があっても関係ない。単純に「縦割行政」してもダメってこと。「国産を使いましょう」とか「日本人だけ」じゃだめなんだよね。
と言うことは、同じ大きさの分割、単一の分割ではだめで、分割そのものが多様性を持ってないとだめということじゃないのか? 人とか資源は色んなものに属しているので、その属しているもの毎に「違った大きさで分割」してやれば良い。
例えば、国と宗教とかってそんなものだよね。分割の仕方も分割の大きさも異なる。
単一の言語しか知らないのが良くないのは、言語が世界を分解して理解するものであって、一つしか知らないと一つの分割の仕方しか知らないということなのか。それは、リスクなんだけど、リスクってのは見えないから気づかないだけなんだよな。
政策的、制度的に、複数の分割を導入するには、例えば、道州制を今の県府都制とは独立に導入するという手がある。そうすれば、サービスの悪い役所は使わずに、便利な方を使うなんてことが可能...
(無理に早起きさせられたので、なんか微妙に暇ならしい...)
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