Thursday 19 April 2007

父の思い出 (遊び編)



父は、高度成長期の中小企業の社長だったわけなので、遊ぶ金はあったようです。賭け事は嫌いだったらしい。遊び仲間がいたせいもあり、色んな遊びをしてました。カメラ、車、バイクあたりは、まぁ、買って終り的なところもあるんだが... カメラは、もっぱらスナップだったようです。楽器はだめだったらしいです。ギターとかピアノは置いてあったけど。



工場がそばにあり、道具はたくさんあるので、工作系も多かった。コースを電気で走るレーシングカー。これのモータの巻線を太いのに変えるとかそんな技があったらしい。これは近所のボーリング場の地下とか、科学技術館の地下にサーキットがあった。



ラジコン飛行機。ラジコンボート。ラジオコントローラ(当時は、プロポと言った)が当時(60年代)10万円したらしい。飛行機は家具工場の技術で作るわけなんで、それは、まぁ、ちゃんとしたものが出来ますよ。川崎あたりの、まだ、開発されてなかった山にいって飛ばすわけだ。さすがに公園で飛ばすのは危ないよ、子供心に思った。送電線越えて行方不明になったことがあったはず。それを一緒にいた学生が見付けて来たこともあったらしい。



ラジコンは操縦の腕があるので、うまい人にはかなわない。どんなにいい飛行機を作っても。そういうところがあったみたいね。あと、しばらくすると、飛ばす場所が東京近郊には見付けづらくなったし。



小学生ぐらいまでは一緒についていってました。今から考えると子守りみたいなものだったのだろうと思う。中学生からは、そんなのにはつき合いません。親の金と、自分の遊ぶ金は別なわけなので、結局、遊んでいるのは父だからな。



お正月になると凧を作るわけ。箱の形をした凧ですね。こっちは紙と木なので安上がり。これを池袋の工場の屋上から揚げる。釣りのリールと釣糸で揚げていたはずです。なので、極めて高くまで揚がる。今だったら、無線カメラでも付けるところだが、当時はそんなものはなく。もっとも、ゲイラカイトだっけ、そんなものでも結構高く揚がるので、あまり、はまらなかったらしい。



40過ぎてからは、ひたすらゴルフだったようです。雨でも雪でも毎週行く。まぁ、あとで、ゴルフだけはなかったことが母にばれて離婚騒ぎになったわけなんだけど。男なんて、そんなものだよな。ゴルフに一緒にいったことはありません。まぁ、そういうのがなければ、一緒に行こうという話もあったかも知れんが。今は、代わりに母がゴルフに通っているようです。



細かい工作は40後半だとちょっとね。もっとも、拡大鏡使えばいいんだけど。僕も拡大鏡買おうかな。プラモデル作るときにちょっとつらいんだよ。近眼だから近くを見るのには不便はないんだが、それでも、前よりは近くに寄れないので...

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