学部生が論理的な考え方や話し方ができてないから中高で教えるべきだ的な話をみかけたんですが... それって
どんな論理を想定してるの?
高校時代に島内先生の数学の基礎に引っかかって、
A → B は A が偽ならば真
にまったく納得できなかったことを思い出すな。前原先生の「Don't move or I'll kill you」と「If you move, I'll kill you」を読んで割と納得。
前原先生の授業はNatural deductionだったし、層圏トポスも読んでたし、様相論理の本も吉田先生からがめていたので論理にはなれていたはずだが...
でも、Prolog 学んで Foundation of Logic Programming でモデルの考え方を知った時には
記号論理の意味がぐっと具体的な感じがした
かな。もっとも、それが数学の本を読む時のとはあまり一致してなくて。むしろ、
現実の世界はモデルであって、記号論理は、その上での構文
という科学的なイメージに近い。
数学の論理はやっぱり証明なので、直観主義論理的な Natural Deductionに合う感じ。
もっとも、→ の意味は記号論的なもの以外にもいろいろあって、因果関係とか予測とか様相とか。
科学者や数学者はもちろん厳密な直観主義論理を使うだろうけど、それと論理的な話し方とは差があるだろうな。結局は、
論理的に考えて話す人と、どれだけ話すかによる
気がする。「できてないから教える」というのは学校に期待しすぎ。社会自体が論理的にならないと、学生は論理的に話すようにはならないと思う。
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