怪しい爺さんたちの怪しいもの探検の一貫です。イスラエルのガザ侵攻に関連する戦争犠牲者を法要するのに参加してきました。
お経を上げながら犠牲者の名前を読み上げる
というもの。平和記念公園の名前みたいなものだな。お経は天台宗由来です。政治的なものでなく、宗教的なものだというのが自分の理解だな。
いや、まぁ、なんか、ロックというかパンクというかそういうイベントです。アラビックではなくて片仮名なので読み上げるのは簡単。
1500人くらいらしいんですが、1時間半くらい。あとは、パレスチナ料理での精進落としです。
いろんな解釈があると思うんだが、
宗教とは人が明確な意図を持って作り上げるものと自覚する
というのが素晴らしい。人は自然や現象からいろいろなものを読み取るのだが、それはあくまで人が読み取ったものと自覚する必要がある。
そこを諦めたらダメだと思うんだよな。この人工的に作られたキメラみたいな儀式には、もちろん科学的な意味とかはない。しかし、
名前を読み上げることで、因果的に、ガザのその場にいた個人個人とつながる
というのが反証し得ない事実として自分に起きる。この感覚は、まさに宗教的なものだと思う。自分的には、それは、
量子力学的な現象、つまり、観測とかそういうもの
だと思うのだけど。なので、もっと、
名前がちゃんと原語で書いてあったり、発音指導があったりする
方がそういうつながり的なものは強化されるような気がするが、一方で、読み上げると言うこと自体が重要で正確さとかは関係ない気もする。
そこに、声明を入れる意味があるのかってのは記号論的にはないんだけど、別な効果がある感じ。波動的なものが関係するのかなぁ。
こういうのを神妙に粛々と行うってのが必要なことであり、尊重するべきものだというのは、科学とは別だが、重要だと感じています。
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