Monday 25 September 2006

今日は久しぶりに何もない平日 (と位相空間)



と、思ったら、小禄高校訪問らしい。

と、思ったら、電気電子の先生に任せるなんていう話が〜 やっぱり、何もないのか?

だけにしようと思ったけど、数学シリーズを少し追加。

今回は位相空間論。位相空間の話はなんか必要そうでしょ? 開集合がほげとか、近傍がふがとかさ。ハウスドルフ空間がホゲホゲとか。ハイネボレルルベーグとか。コンパクトとかさ。勉強した本は、シュワルツの代数学と、岩波の代数学Iだと記憶します。

開集合の有限な和は開集合。でも、共通部分は無限個とっても開集合。これが基本。だから、差は無限の部分にしかない。と言うことは、位相空間の話は基本的に「無限をどう扱うか」ってこと。つまり、εδ論法の延長なんだよね。連続写像ってのは何かってあたりが定義したいことなんだから。

人間が無限に付いて知り得ることは少ないわけなんだけど、「手が届かない」ことは確か。そこに思いを馳せる。1,2,3... ∞で到達できる∞と、実数の数みたいな∞には差があるのかとかさ。差があると思っているわけなんだけど、実は差がないのかも知れない。差があると思えば、位相とか測度の話は意味がある。代数的に計算できる積分の範囲が広がるしね。ルベーグ積分だよね? それを勉強するためだけに、位相空間論って必要なの? 座標変換して、積分すればいいだけなんじゃないか?

もし、その無限に差がないなら、位相空間論の話の大半は意味がない。チコノフの定理は、選択公理が必要な部分で「位相空間の直積に対して、新しく位相を定義できる」ってことなんだけど、別に、その定理がなくても、それほど困らない。直積空間に対して、新しく開集合の定義が必要になるだけ。僕は選択公理は「無限に対する立場を決める選択」だと思っているので、選択公理抜きで意味を持つ結果しか信用してないみたいなところがある。

つまり、実数の無限性に対して人間が出来ることは、1,2,3... ∞でしかないので、実数に対して出来る特徴付けは、可算無限に閉じているってことだな。

と言うわけなので、「位相空間論は、コンピュータ科学に関しては勉強する必要がない」と言い切ってしまって良いんじゃないか? いや、もっと進んで「数学から、位相空間論を取り除いても、成果は変わらない」って言っても良い。いや、もっとはっきり言えば、選択公理抜きの部分で得られる位相空間論の成果は実は何もないと思う。

そんなこと言っているから群論がいつまでたっても、ピンと来ないのかも知れないが...

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