Monday, 3 May 2010

英語の先生の思い出

中高では中原道喜先生に英語を習ったんですが、あんまり真面目に勉強してなかった。マスター英文法とか英文標準問題精講とか書いた先生ですが、もっぱら英文和訳な授業だった。It arrived at とか習うわけだけど、どうでも良かったです。

Basic Patterns とかの自前の英文集があり、そのセンスが良かった。中身が面白くなければ読む気にならない。なんだけど、予習が追い付いたことはなく、もっぱら授業で「そんな意味なのか」とか聞いてました。夏休みの課題がシェークスピアだったりする。

必ずスカイセンサー(注: ワイヤレスマイク付きラジオ Sony 製)を拡声器に使ってました。

でも、外人を連れて来たことがあって授業ではなかったんですが「中原先生の英語は通じるんだ」とみんなで驚いた。あんまり発音の良い先生ではなかったので。でも通じるんだよね。重要なのはアクセントであって、発音じゃないから。

と、まぁ、自習前提な英語の授業でした。それでも試験はぎりぎり通っていた。でも、その時点で「勉強法が変」と気づくべきだよな。高校の英語は到達目標が今から考えると低いので、どっかで集中的に勉強すれば、もっと楽勝だったはず。

授業も結構受けたけど、聞いているだけってダメだよね? 結局、予習復習が重要なら授業ってなんなんだ?

結局、一浪した時に英標を手始めに勉強し直すんですが、模試のたびに英語が出来るようになっていくのが楽しかった。試験ってのは、そういうように使うのだと思う。今でも「試験に出る英単語」とかあるのかどうか知りませんが、そのあたりも最初は役にたってました。

と考えると、小中高で分散させて教えるのは時間の無駄な気がするね。英語を集中的に2-3ヵ月勉強する動機(と時間的な余裕)が問題だと思う。

大学(あるいは中学/高校)で1学期を英語で教えれば良いとも思います。留学が良いと言う人もいるが、若い頃の留学は文化的に染まるので、日本に帰って来た時に(帰って来る場合だけど)、異文化排斥な日本で苦労することは確実。帰国子女がそれで苦労してるし。留学は20代でないと意味ないけど、20代の時間は貴重だからな。一方で、10代の時間はルソーではないが「とにかく無事に過ごせれば良い」ので安い。やっぱり10代に語学をやるのが合理的だと思う。

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