学生の個性とか芸とかは、基礎学力とは別もの。まぁ、基礎学力の重みを下げるってことなんでしょう。
でも、琉大の入試なんて「激易」なわけでさ。既に、AO入試を実施しているようなものじゃん。実際、プログラムとかシステム管理が抜群でも、物理が出来ない、微分積分が出来ない、英語が出来ないとかいう理由で結構、落ちてるし。結局、卒業までに基準の基礎学力を要求するなら、「卒業までに頑張ります」「卒業まで頑張れ」よりは、入試で確認した方が人道的だと思う。出来ない奴をとって、4年間、無理矢理やらせるわけ?
基礎学力を軽視するなら、コース全体で「学力軽視コース」を作らないとダメなんだろうと思う。それを大卒と呼ぶべきだとは思わないけど。卒業基準がはっきりしているならともかく。まぁ、卒論書ければいいじゃんという見方もある。それでいいなら、それはそれで完結してはいるけどね。
企業の方も要求しているのは基礎学力であって、個性ではない。だから、卒研の内容なんか問わずに決めるんだろうし。AO入試で入った学生を取りたい企業ってあるのか?
学生へのサービスとして入試の入口を広げるのは悪くはないとは思う。でも、大学教育の画一性自体を放置していては学生の多様性に対応できないと思う。
もっとも、途中で逃げ出す学生に対応する義理はないと思うけど。ところが、義務はあるんだよな〜 お得意様だし。
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