最初のNYにおまけと一緒に転がり込むところから一気に、あの頃の気分になれたんですが... インディアンが出来すぎ。でも、友達にそういう奴いたけど。
今はどっちかって言うと父親側に思い入れする感じ。つうか、誰も彼もがヒースを甘やかしていて、「若い子のすることはわからん」と思いました。イーブは、素直に可哀想なんだが、ヒースは自分で堕ちているだけじゃん。なので、暗い結末に向かう必然性を今は理解できます。廻りが、このまま裁判になればヒースが裁判官に向かって切れまくるのを確信しているあたり、ちょっと喜劇っぽくって、それでも「若いんだからしょーがねーよ」みたいに受け入れている廻りの大人がすごい。まぁ、インディアンあたりから、そうなんだけど。
自分から堕ちるってのは、そういう余裕がからだと思うし、「じゃぁ、堕ちてみれば?」とも思う。そういう意味で自分は「カリフォルニア物語」に出て来るような大人にはならなかったな。どちらかと言えば「フォームをいじりすぎて選手をダメにする」あっちかも。まぁ、迷惑な大人だよな。
学生運動とか団塊の世代の後の、無関心で内省的な時代にあった、自分自身に閉じた悲劇という感じか? 「軽井沢シンドローム」とかと同時代なわけだけど、まだ、外に関心が向かない時代の青春ものとしては普遍性があるか。
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