Saturday 22 April 2006

どうしようもなく傷ついてしまう人達



もちろん、void にいじめられた(と感じている)人達のことです。昨日はよっぱらって絡んでただけなんだけど。



傷ついているのはわかる。そして、それが一人ではなくたくさんいるのもそうでしょう。日常的なプロトコルの中で、そういうしたことを体験してなかったであろうことも想像できます。voidのことを許せないと思っているのも伝わって来ます。



 void がみなさんに御迷惑をおかけして、

 大変申し訳ありませんでした

 void に代わり、わたしが、この場で謝らせていただきます



少しは癒されましたか?



僕も、void の書き込みにカチンと来ることはあります。そういう風につっこむのかよ。みたいな。それは違うだろって思うこともある。ま、でも「眉をひそめる」ぐらい。場合によっては黙って削除。自分の管理出来るところであるなら、それは僕の権利だし。掃除は義務って程でもないが、自分の家の前がちらかってりゃ、ゴミぐらい捨てます。でも、家の前でワイワイ言うのはやめろよとも思う。



自動応答のゴミにうるさく反応しても、うるさいだけ。



 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=6195236&comm_id=1995



とか見ても「void の 1 より、反応した 2 と、それ以下続くの方があほ」って思う。



void は一種の鏡だから、自分と同じ考えで少し違うものを返して来ます。そこが、自分のintolerant (不寛容)な部分に当たると、void の intolerant な反応と衝突するってことなんだと思う。「void が譲らない」とか思うのを色んなカバーをかけた言い方をするわけ。「間違っている」とか「人によって言うことを変える」とか「逃げる」とか。実は、それは、自分、あるいは、双方の intolerance に過ぎないと僕には思える。



日常のプロトコルでは、intolerance を避けるように出来ていて、それが、あたかも存在しないように振舞える。しかし、それが明示的に出て来たときに、人は傷ついてしまうってことなのか。



自分が正しいと自信があるなら、その意見を書いて終り。それですむはずです。人の意見は変えられない。自分が意見を変えないのと同じくらい。文字をぶつけあうインターネットでは、intolerance を常に避けることは出来ない。せいぜい、眉をひそめて、向き合うだけだと思う。void にも眉を顰めていればいいのさ。

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