なんか、昔にも blogに書いたことがある。良くある順序が違うとバツを食らうってやつなんですが…
なんか、どうも
掛け算に順序はない
ってな標語になっているらしく。それは変なんだよね。というのも
掛け算の定義は、足し算の繰り返し
で非対称なわけで。いくつか対称な掛け算の定義を agda で書いてみたんですが、どうも
交換則の証明抜きには無理
らしい。それほど難しくもないが、小学2年には厳しい感じ。まぁ、掛け算の順序を問いたいなら
何を何回足したのか
と聞けば良いだけなんですが。x * y でどっちが回数かは日米で差がありそう。ところが
累加は掛け算の定義じゃない、ペアノの公理は的外れ、ab と ba は同じ
とかが降ってくる。なんなの?
まぁ、累加は読み替え可能。例えば、
鶴の右足を数えてから、左足を数える
みたいなやつね。生徒が逆に書くのは、だいたいそれ。
ところが、その読み替えでも結果が同じになるのには交換則が必要。なんだが小2ではそれはまだない。まぁ、
交換則は経験則でも良い
ってのを言う人たちもいるんですが、それって九九の延長ってこと? もしかして
掛け算は天から降ってきたものなのか?
読み替えはプログラムの二重ループを入れ替えるみたいな話なんだが、メタ計算で順序は外から見えてしまう。
3m/s² で 5sec 加速と、5m/s² で 3sec 加速
は違う現象で可換にはならない。到達位置が違う。でも到達速度は+15m/sなので普通の掛け算なんだが… と言ったら、
それは掛け算じゃない、次元が違う、単位が分かってない
この場合は、時間の方が回数っぽいよね。読み替えで順序を交換できるかというと、できなくはないんだが
激複雑な操作になる。それで、到達速度が一致するのはむしろ不思議
いや、それは交換則で保証されてるわけだけど(相対論では、ずれる)。で、どうも
掛け算は九九で無理やり覚えるという状態になる生徒がある程度いるらしい
確かにそれだと天から降ってくる感じ。いや、一階述語論理の関数の意味は実際そういうものだし。*** そこか?! ***
それだと文章題に掛け算を対応させるのはChatGPT的な確率マッピングになる気がするので、やっぱり、それなのかなぁ
つまり、掛け算を実在論的/イデア論的な「人の外にあるもの」で、その意味は神のみが知っているってな立場の人がいるらしい。実際、
ペアノ流の掛け算の定義を押し付けるのか?!
とか言ってくるわけですよ。いや。交換則押し付けてるのそっちだろ。証明しろよ。
直観主義論理は唯名論的なので、人間が知る記号ゲームが人の限界みたいなところがある。そこではペアノ流の構成になる。
ま、ネットで炎上する議論は、存在論の争いなことが多い。シロートが参加しやすいし、実在論は声が大きい方が勝つ的なところがあるからな。
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