もちろん、かけ算は
(一つ分)x(いくつ分)
なにを何回足すか
で定義されるのだが、ここで累加はあまり強調されない。ここで筆算を導入するには定義から自明な右分配則で
17x21 = 17x(20+1) = 17x20 + 17x1
と足し算で計算できる。筆算の本質はこれである
しかし教科書ではアレイ図を使った比較的複雑な展開を行う。ここで、交換則もアレイ図で導入する
これは、かけ算の筆算を交換則を同時に証明する形で計算したいからだと思われる(インド式)
そこで
○○○○
○○○○
○○○○
アレイ図を数えることがかけ算
という直観が出てくる。これは間違いで教科書の定義とは異なる。しかし、学生あるいは親に発見されてしまう
すると、縦横を回転して形が同じなので「かけ算に順序はない」「どっちでもいい」ということになる
定義では「アレイ図を(一つ分)x(いくつ分)に分解して、足し算の繰り返しで計算する」あるいは
「二桁のかけ算をインド式でアレイ図を使って計算する」なのだが、これが落とされてしまう
これで面倒な筆算は「その時だけ」で忘れてよくなる。これが「かけ算に順序はない」かけ算原理主義者の本質だと思われる
アレイ図を数えるのは集合の直積濃度に相当するし、計算する必要がなければ合理的にも思える
# なにがよろしくないのか
アレイの分割を忘れるとかけ算の計算ができなくなる。これは致命的。筆算を思い出す指針は累加なので、累加を強調する必要がある
かけ算の本質は(一つ分)x(いくつ分)という分割であり、これは面積以外の非対称あるいは非可換なかけ算にも当てはまる
これらの非対称性は「5個ずつ飴が乗ってる皿3枚」とかでもある。実際これを聞いているのが掛順問題である。これを
「かけ算に順序はない」「どっちでもいい」
とすると、直観が「アレイ図を数える」に落ちてしまう
実際、集合P,Qの直積 P⊗QとQ⊗Pは異なる集合であり可換ではない。行列演算P x Q は非可換だが、その行列式あるいは跡は可換に振る舞う
(一つ分)x(いくつ分)ならば、いくつ分を追加することで自明な線形性(右分配則)がある。また
単位量 x 数量 = 単位量
という単位のサンドイッチが自然に導入される。また、かけ算の整数や分数への拡張も容易
これらの有用な直観が「アレイ図を数える」で失われてしまう。これが問題で、実際に、かけ算の定義を捨てて
かけ算とは抽象的な対称な演算
に落ちている人が実際にいる。これを本来の「かけ算とは線形性で世の中を分析する考え方」に戻す必要がある
# 本質は掛順ではなく、包含除で分解する方向/線形性
原理主義者のかけ算の定義は「アレイ図を数える」で攻撃はその理解を否定する掛順問題、累加、単位のサンドイッチに向かう
しかし、重要なのは、その個々の問題ではなく
かけ算をかけ算としている状況での「いくつ分」(線形性を持つパラメーター)を見つけること
であり、そのパラメータとして、まとまりの個数、繰り返しの回数や時間がよく使われることを強調する
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