Tuesday, 7 November 2006

アローの一般可能性定理



数学シリーズと言えないこともないか....



そう言えば、この話は、沖縄に来たばっかりの頃にしたことあるな。ケネス・アロー先生の定理。簡単かつ強力な定理で「公平な選択と、良い選択は両立しない」ことを示しました。



a,b,c の順序づけを投票によって決める。有権者の分布は、以下のようになっているとする。



  順序 人数

  a < b < c 7

  c < a < b 5

  b < c < a 5



さて、多数決で、どの順序が政治的に正しいかを決めよう。



  事象 賛成/反対

  a < b 12/5

  b < c 12/7

  a < c 7/12



と言うわけなので、選択の順序を適当に選ぶことによって任意の順序を多数決で決めることが出来ます。これがアローの逆理の本質であり、複数の事象に対する多数決による公平な順序は存在しないということ。これを否定するためには、有権者の分布か事象の順序に、最初から偏ったものを仮定するしかない。



この順序を選挙による当選人あるいは意志決定の選択順と見ても良いし、個人個人の社会的貢献度と見ても良い。



これに関連した定理で渡辺慧による「みにくいアヒルの子の定理」というのがある。これは、統計の基本定理である中心極限定理の一つの系であって、



 十分な量の統計的測定を積み重なれれば、

 全てのものは同程度に似ている



と言うもの。つまり、アプリオリな仮定抜きに、物事に優劣を付けることは出来ないってこと。僕は、この二つの定理は関係があると思いますが、証明しようと思ったことはないです。



この二つは、ある意味で、純粋な意味での人工知能が存在し得ないと言うことを証明してもいます。あるいは、自然選択が偶発的なものでしかないことを示していると考えても良い。つまり、進化は「何か良い方向」に向かって来たわけではなくて、「行き当たりばったりな方向」に「行きづまるまで進んでいる」だけ、というわけ。 逆に選択とか配分の問題は「適当な選択でも良い」と言うことでもある。それは「同程度に正しい」わけなので。



そんなこんなで、僕は、統計学と人工知能には、あまり興味がない。でも、これを知って、むしろ統計とか人工知能を面白いと思う人もいるだろうな。これは、政治とか民主主義自体あるいは市場原理を否定した定理でもあるわけなんだけど、人々は、あまりシリアスに受け取ってないらしい。数学的な定理を否定して楽観的とは言えないので、単に知らないだけ、つまり馬鹿なんだと思う。



世の中にはアプリオリな順序付けも幾つかある(時間とか重力とか、それらは同じものだが...) ので、それを利用した逃げもあると思う。特定の目標(生産性最大とか)を採用して、それに対する最適化問題として政治を定義する手もあるので、アローの逆理があるから、何もかもが無駄ってわけでもない。



でも、この二つを知ると世の中の見方が、かなりシニカルになるのは、やむを得ないところか。



僕は、せめて多様性に重きを置いて、出来るだけ広範囲な探索をすることを良いことと仮定するなんていう方向ですが、それさえも、この定理の手の内だからなぁ。お釈迦様の手みたいなものだ。

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