Sunday, 29 October 2006
実質よりも形式、現場よりもお役所優先
「他人の不幸を見るのが好き」
http://tinyurl.com/yf4jaf
ってことなんだろうけど...
前に書いた「みずほ証券発注ミス」ってよりは「東証のシステム欠陥事故と、理不尽な対処」でも、ミスした奴の不幸を笑っているところがある。ところがミスは東証側にあったと言うのが笑い話になるわけだけどさ。
市役所、県庁、あるいは、警察の裏金も、その不幸を笑ってるよな。でも、現場は「年度〆の予算消費」とか「細かく細分化された費目」とかと戦っているわけなんだよ。もちろん、緊急の金銭が必要になった時に「すみません、来年度まで待ってください」とか言えば、英雄なんだろうけど。
学習指導要領の実施に関しても、実は自由度があって、必修とか取得単位数は、学校によって違うのが当り前だと思う。ドタバタしている学校を見るのは面白いだろうけどさ。
何故、それまでに「形式的なルール」(法律でさえなかったりする...)を重視するのか? これらの事件で明らかになっているのは、
現場での自由な判断の余地の必要性
なんじゃないのか? そして、
情報の公開
だよ。「発注ミスがたくさんある」ってのが公開されていれば、もちろん、東証の責任は、もっと早くに追求されていたと思う。自由度の高い予算運営が必要ならそうすれば良い。それがどういうように運用されていたか公開されるのであれば、裏金なんか必要ない。ポケットマネーにしたとかいう話じゃないんだよ。必要があったわけだろ? 新聞は、そこのところは、なんで追求しない? 毎年、端数合わせで購入している鉛筆とかへの言及がないのはなんでだ?
世界史の必修だって、受験に関係ない勉強(補習)を高校三年生が一生懸命やるとでも思うのか? 学生側の要望はどうだっていいわけ? そんなに世界史の知識が重要なら、大学受験や会社の入社試験にでも入れれば良い。それがないってことは、実は必要されてないってことじゃないのか? そして、より自由に運用した学校の方が、学生をより良い大学に送り込めているわけだろ?
それを、むしろ、
現場を締めつける規則の強化
の方に世論を持っていくような新聞記事にひっかかている気がする。それで、うれしいのは、一体、誰だ?
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