Twitter での議論も尽きたみたいなので、まとめ。今までにも何回か書いたけど
# まず、かけ算の定義を確認する
初めて習うなら、もちろん、大きくなったなら、数学的にも日常言語的にも言えるべき
1) (一つ分) x (いくつ分)
包含除と呼ばれる。数えられるものを分割し、分割の一つ分の数と分割の数でかけ算になると理解する。
お皿の上の飴の数とお皿の数。
2) 何を何回足す
累加と呼ばれる。足される数(かけられる数)とその回数。最初はゼロ。1)を実際に計算する時に使う
この二つは表裏で、分割する方と回数の方向性がある
# かけ算の性質
分割側と回数側で自明に右分配則が成立する ( 3 x (2 + 5) = 3 x 2 + 3 x 5)
交換則が成立する (3 x 5 = 5 x 3)
かけられる数の単位は、包含除や累加では保存する
5cm x 4 = 20cm
単位のサンドイッチと呼ばれる
# 筆算の方法
かけ算九九なら、実際におはじきなどを並べて数える(アレイ図を数える)ことが許されるが、
二桁以上は工夫がいる。45 x 24 では、23を 20 + 3 と考えて、
45 を20回足す、さらに3回足す
45 x 20 = 900
900 + (45 x 3) = 900 + 135 = 1035
アレイ図だと交換則と分配則を使うので複雑。上の方法は累加だと割と当たり前だが分配則は使ってる
これらの定義と計算方法は対称性はないが、かけ算に対して常に正しい。また、分割側回数側を自然数にとると
整数、小数、分数、実数、複素数、あるいは拡大体やベクトルや行列に対しても成立する。
# かけ算は値だけではない -- かけ算の定義の非対称性の原因と数学との関係
かけ算は現実世界の「かけ算的な性質」であり、それがなぜかけ算なのかは、包含除と累加の定義から
決まる。そこには対称性はないので、実際に非対称な演算が含まれる
5m/s x 3s = 15m
3m/s x 5s = 15m
は経過する時間が異なる現象であり、同じなのは値だけ。これは副作用や誤差あるいは揺らぎなどに影響が出る。
これは突き詰めれば、時間経過は量子力学的な現象であり非可換な行列演算だからとも言える。
もともと非可換な現象(加群とか)の一種の射影としてスカラーで可換なかけ算が見えている。物理法則
PV=nRT
には、Vやnは分割や回数として現れている。これは「自然な方向」という言い方もできる。分割や累加は問題の
自然な方向(線形性)を示してる。
# 累加を通したかけ算の拡張
累加の定義を左辺に拡張するのは容易で、足し算さえ定義できれば容易にかけ算を拡張することができる
右辺を拡張するには
-3 x -5 = (-3 x 5) x -1
3 x 0.3 = (3 x 3) x 0.1
3 x 3i = (3 x 3) x i
のように結合則を使うと良い。x -1 , x 0.1 , x i などを定義するが、交換則を満たすように決める
非可換な行列などでも同様に拡張できる
# 可換則を任意に使っても、かけ算の順序のつじつまはあう
(3x5)x6 = 3x(5x6) でも自明ではないが累加での解釈が可能になっている
同様に式で交換則を使ったあとでも、もとの式のかけ算の意味がなくなるわけではない。
単位と一緒に交換するという考え方もありえる
また、計算する時に交換則が禁止されるわけでもない。順序があるのは式や考え方であって、
計算結果には交換則が成立する
# かけ算に順序はないという原理主義者の主張はなぜだめか
(一つ分) x (いくつ分)を問ういわゆる掛順の問題で、3つのお皿に4つずつの飴なら、4x3が
が答えだが、それに
どっちでもいい
と答える。その根拠はかけ算はもともと順序がないから。
これが問題を引き起こすのは、かけ算の定義や性質には対称性がないから
かけ算の答え(値)は順序に依存しない
なら、問題ないのだが、定義や性質に「順序はない」を要求し始めると混乱が始まってしまう。
# かけ算に順序はないという原理主義者の混乱
原理主義者には、さまざまな症状がある。
1) かけ算の定義を否定する (計算できないが対称な演算とする。九九は良いとかの変種がある
2) 式と値を区別しない (2x3 と 3x2 を同じと言い張る)
3) 単位のサンドイッチを忌避する
4) 累加の定義は認めるが「右かけ算と左かけ算の選択は保留する」という(自明な分配則を認めない
「かけ算はアレイ図を書いて数えること」あるいは「直積の濃度」だということが一つの根拠になる
一階述語論理では、かけ算の意味は Well defined な自然数の三重直積なので、それっぽい
あるいは、関数外延性で、右かけ算と左かけ算は同じと言い張る
右かけ算と左かけ算を同時に定義するとかの一見対称な定義も可能なのだが、両方同時に家庭する必要が
あり、両方の順序があることになる。否定するには
右かけ算∨左かけ算
という方法があったりする。これだと右分配則が自明な直観にならない
これらが無害なら問題ないのだが、例えば
5) かけ算は単位と一緒なら、交換しても同じ
なら、累加を認めていれば割と害はない。ところが、定義を否定するとか、計算を拒否する、あるいは
単位のサンドイッチを含む公式を一般的に忌避する人たちが実際に存在する
5m/s x 3s = 15m
を
5m x 3 = 15m
の単位のサンドイッチで理解することが許されないので、よく分からない複雑な解き方(はじきとか)を使う。
「はじき」なら、いきなり 5 x 3 を出せるので、かけ算の対称性は維持される
このように「かけ算に順序はない」を病的に避けることがはっきり害になっている。定義が怪しいので
不安があるので、攻撃的になることもある
# かけ算に順序はないという原理主義者の反ワクチン的な振る舞い
教科書や先生は間違ってる ≈ 医者の言うことは間違ってる
定義や証明を神への冒涜 ≈ ワクチンの有効性のエビデンスへの反発
ペアノは危険 ≈ m-RNAワクチンは危険
かけ算の順序を使うと高度な数学がわからなくなる ≈ ワクチンを打つと癌になる
子供にこの問題でバツをつけるのは可哀想 ≈ 子供にワクチン打つのは可哀想
無理な順序のない演算の定義 ≈ 反ワクチンの無理な理論付け
反順序は反ワクチンと同じで、自分たちが思ってるほど多数派でも主流派でもない
これらは、一種のインテリ批判あるいは、体制批判でもあって原理主義者たちが攻撃的になるのもいつものことである
# かけ算に順序はないという原理主義者への対処
まず、かけ算の定義を明確にする
1) (一つ分) x (いくつ分)
2) 何を何回足す
掛順の問題で「自然さ」を強調しても良い。数を増やした時に単純な足し算で増える方(線形性が自明な方)を自然だという
これで折伏する必要はない。かけ算の定義がはっきりすれば、原理主義者の問題は、彼らの禁則事項の問題になり、
原理主義者たちが無意味に難しい方法あるいは、回答拒否するのは彼らの勝手ではある。
原理主義者の意固地な思考が、他の人に伝搬しなければ良い。なので、
掛順の問題にどっちでもいいと言わない
かけ算の定義と分割累加の方向の関係を説明するのがよいと思われる
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