Wednesday, 14 December 2011

勉強という変な言葉

辛いことを一生懸命やっても良い結果になるわけじゃないと思う。

トレーニングは体力でも知力でも、繰り返し使って鍛えるわけだけど、単純に肉体的に辛いとか、繰り返し作業が単調で退屈だとか、それが原因で辛いわけではない。痛くて我慢できないってのとは違うから。

一つは目標だと思う。そして、そこに向かって進んでいるという測定。いくらやっても進まないものを頑張っても辛いだけ。

そのやり方や測定方法を示すのが教育だと思うけど、勉強って言葉には、そういう印象がないよね。

自分が、それを示せていると自信があるわけではないけど、これができれば良いという基準は重要だと思う。それを下げたら教育そのものが無意味。そこまでそんなに遠いわけじゃない。みんなにオリンピック選手になれという要求しているわけではないから。

基準という意味では、教え方よりはカリキュラムで決まってしまうところがあるのかも。まぁ、いろいろ試行錯誤だなぁ。情報工学科でも授業よりは実験や他の演習の方が重要な気がするし。もちろん、授業は淡々とこなして欲しいけどさ。

どんな方法をとってもできる学生はできるみたいな所があって、教師なんて、所詮は、トレーニングのための邪魔なハードルぐらいってことなのかも。それに小学校で気づかないのは逆に不幸かもね。あんまり教師が良すぎるのも…

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