Sunday, 1 July 2007
戦争の責任放棄と言葉狩り
mixi のニュース自体はどうでもいい気がするが、そのコメントを見るとな〜
西松建設の「強制連行はありません」とかには、中国に対して賠償責任はないとかを強調する人が結構多い。自分達の責任ではないとか、昔の大人の責任だとか、そんなんでもないらしい。街角で「良い仕事あります」とかで引っかけて、ジャングルの奥地で鉄道建設させて、みたいなことをやっていた国なんだよ。日本はさ。日本がおこした拉致事件なんだよな。戦時中の広報映画なんかは、北朝鮮か?! みたいな感じ。事件に対する反応も似ている。
沖縄の「集団自決は軍命ではない」とかも、似たようなところがある。で「教科書から削れ」という当然の流れなんだろうけど、「やっぱり」と思う。自決した司令官の「沖縄県民かく戦えり、後世格別の御高配を賜らん事を」とかの電報があるらしい。勝手に民間人を巻き込むんじゃないと思う。戦いたくなんかないよ。民間人を守るのが軍人の勤めなんだけど、その民間人に沖縄県民は実は入ってなかったってことなんだよね。
原爆は、一つは、本土上陸戦のコストを避けるという意味があったと思う。もちろん、戦後の国際情勢(つまり、ソ連の牽制)もあった。それは、もはや、当り前の認識だと思う。そこで「しょうがない」という言葉尻だけとらえて問題にするのか。頭悪いと思う。
これらの共通点は「言葉をなかったことにすること」「責任を避けること」だと思う。もっと直接的に言えば「戦争責任を避ける」ということだね。自殺とかで責任を取るのではなくて、戦争で起きたことに対して、どう対応(Response)するのかが、責任(Responsibility)だと思う。
日本あるいは、日本人の責任能力のなさが、ニュースのコメントから読み取れるのが情けないです。
もっと積極的に、戦争で被害を受けた個人に日本国家が対応していくと表明した方がいいんじゃないか? それは、そんなに良くないことなのかな? 従軍慰安婦問題だって、軍命があったなかったより、戦争で被害を受けた女性への支援みたいな視点で解決していく方法があると思う。
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