Sunday, 22 January 2006
バブルが繰り返すわけ
ひろのぶの日記からですけど。
何せ、貨幣と市場が出来てから繰り返しているものだからね。市場の規模が大きくなればなるほど、バブルは大きくなるわけで、それが騒ぎを大きくしているわけだ。
もちろん、バブルの原因は「お金をお金で買う」という自己参照矛盾にあるわけ。普通は矛盾がある理論は捨てられるわけなんだが、捨てたくない人がいるわけだね。矛盾は「なんでも導出出来る」っていう便利さもあるから一概に悪いとは言いません。人が信じれば信じた分は機能するしね。(Praconsistent logic なんていう懐かしいものも思い出す)
自己参照を維持するためには規模が必要。閉ループが完成してしまうと、そこで真偽が明らかになってしまうので、オープンな方に推論や因果を廻します。渦巻型に「発展」させれば良い。(基本的な構造は鼠講と同じ) オープンな部分は経済的には未来への期待を使うのが普通。それを膨らませるのを夢を語るというか、情報操作と言うかは、伝えたい意図による。そのあたりのルールは勝っている奴が決める。
一方でループは必ずアトラクタを持つものだから、そのアトラクタ周辺の状態を尽くしてしまえば矛盾は発覚してしまう。「いつかはバブルは崩壊する」ってわけ。財政赤字は必ずインフレで終るみたいな感じか。
「必ずバブルは終るってわかっている」だったら、人間が賢ければ、一度やればバブルは二度と起きないとなるはず。でも、そうではなくて、数百年繰り返されている。それは、必要性があるから。そう、人がそれを望んでいるから。戦争とか、もっと身近には、fjやmixiのframeがなくならないのも、人がそれを望んでいるから。
どういう必要性があるかは、人間の本性なんていう曖昧な言い方も可能だけど、僕が好む言い方だと、最大化したエントロピーをコストを払って極小化するってことだと思う。まぁ、人間が十分に賢ければ、それを制御することも出来るんでしょうけど、残念ながら、人はそれを望んではいないようです。それが何故かは、僕はまだ理解してません。
そういう制御されたバブルの例としては宝くじとかギャンブルがあるよね。市場経済には、乱数による決定が必須だというのも僕の持論の一つだな。
バブルが、そういう市場経済に必要な現象ならば、むしろ肯定的にとらえるべきだと思う。別に宝くじにあたった奴が悪人だってわけじゃないでしょ? もちろん、破綻したときに払うコストは巨大で大量の人が損をするわけだが、それを承知で市場経済に参加しているんじゃないの?
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