かけ算原理主義は
かけ算は対称だと言う教義(根拠は素朴実在論=神)
それに反するものは禁止、あるいは暴力で阻止
包含除/累加(一つ分xいくつ分)や式の意味の禁止
という社会問題で数学的なものじゃない
(一つ分)x(いくつ分)でかけ算を理解するのは、足し算の繰り返しでの計算や操作を中心とした構成数学的な手法で手を動かして理解できる
この定義では、引数の片方で問題を分割する。つまり、片方を固定して、他方を増加させて計算する
これは、それでそのままある。これで問題解けるし、実数や複素数までの拡張も問題ない。かけ算の非対称性は線形代数や量子力学に自然に対応する
否定する必要はないし、それは無理
(ひとつ分)x(いくつ分)の定義と両立しない原理主義者の間違いのパターンがある
0)値が同じなら式も同じ
1)定義はない
2)アレイ図を数える
3) (いくつ分)x (ひとつ分)の両方が成立
4) (いくつ分)x (ひとつ分)との不定状態
この中でまともなのは 3 だけで、その他はかけ算の計算手続きを放棄してしまっている
つまり対称なかけ算の定義でまともなのは(一つ分)x(いくつ分)と(いくつ分)x(一つ分)、
つまり右かけ算と左かけ算を両方用意する方法だけ。半環とか実閉体とかも対称性を要求すなら、これと同じになる
右かけ算と左かけ算には異なる意味がある。かけ算の意味とは、かけ算の状況をさす。明示的なまとまり、単位、
定義域の制約などである。
実際、PV、nRT、vt、ne、お皿と飴
対称でないかけ算たくさんあって
トランプ配りみたいな言葉まである
PV=nRT で、
Pを固定してVを増やすかけ算
Vを固定してPを増やすかけ算
の意味は異なる。操作が違う。これが左右のかけ算になる
原理主義者の対称性の根拠はアレイ図によるかけ算の理解だが、 アレイ図は実は向きがある
→→→
→→→
0があるから数える向きがある。これだと回転しても同じ形にはならない
皿の上の飴を数える局所的な計数
皿を越える緩い計数
の二つの向き(足し算)がある。トランプ配りは計数の強度が逆なので変に感じる
向きを無視する、あるいは両方あると思うと原理主義者的になる
なので別に(一つ分)x(いくつ分)と対称なかけ算は両立する。対称な状況/かけ算の意味の時、あるいは
単位のサンドイッチに変形したり、値だけに注目すると対称なかけ算に変換できる
でも、それは元の式に意味や順序がなくなることとは違う。式の意味は、大雑把に単位と思って良い
それでも「値は一緒なんだから同じでしょ」と言ってくる人がいる。それは式の意味とか状況が対称だと決めつけてるだけ
意味を考えると左右のかけ算が区別できる違うっていう認識はある。それらの意味を外して値として計算すれば対称
そこで「だって」とか「でも」が出てくる余地がよくわからん
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