Saturday, 14 July 2012

いじめ

学校は集団だから、一人が攻撃の対象になることは良くある。障害があったり、あるいは単に頭が良かったりする、そんな差を見つけていじめるわけ。差異を良くないものとする圧力があるので、正当化されたりする。

傷つき傷つけあう。人はそういう風にして育っていくものだと思う。いじめられる方だけではく、いじめる方にも傷を残すもの。傷を癒すのは許ししかないと思う。いじめた方は罪を背負うわけだから、それを許す。いじめられた方は傷を負うわけなので、それを許すみたいな感じか。無罪放免とは違うけど、いじめた人を追求していじめるのは、循環論法だと思う。

いじめの裏には差別があるわけだけど、「なんとなく嫌だ」で嫌われている人とかも集団だと出てきてしまう。「そんなの机とか椅子とかと思えばいいじゃないか」みたいなことを研究室の先輩は言っていたが、自分でそれが「根拠のない差別」だと自覚することが重要だと思う。

日本の同調圧力は、むしろ差別の意識化を妨げていることがあって、少しでも違うと直せってことになるが、それはいじめにつながりやすい。人は一人一人違うのであって、その差を受け入れることが大切。それが、あまり、はっきり教えられてないし、差別の社会的制裁もあまりない。それが、いじめの裏にあることだと僕は思う。

嫌韓とか嫌中国とかも僕は差別に過ぎないと思うので、公言するような人は、差別の意識化が足りないのだと思ってます。

そして、差別やいじめを解決するのは犯人の酷しい追求ではなくて、許すことだと思う。違うことを受け入れて許す。その辺りは、中学生の頃に自分で考えることだと思う。それが厨二病だと思うし、かからないといけない病気の一つだと思います。

僕も嫌われることは多いが、偉そうな感じだからか? 嫌う理由はいくらでもあるよね。別に構わないです。女性に「こういうタイプは全然ダメ」とか言われたこともあるな。

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