Friday, 8 June 2012

幾何学的直観と記号論理

ドゥージンの変換群入門ってのを読んでいるんだけど、ロシアっぽい少し変態な本で、基点を意識したベクトルとかでいろいろ書いてる。つまり、アフィン変換なわけだけど。

ベクトルの足し算を定義して、さらに分配法則とかが成り立つ掛け算を探すみたいな道筋で体を目指すわけだね。幾何学的直観から、分配法則みたいな記号操作に持っていくのは新鮮な感じがする。

相対論でも量子論でも、目で見えるもの、観測するものは見かけに過ぎない。幻影と言っても良い。視覚的直観は幻影に対するものなので、あんまり信用できない。「目で見えるものは大したことはない」みたいな言い方を僕はします。

西欧人の論文を見ると、数式があるのは良い方で字ばっかりなのが普通。図はない方が多い。どうも図を理解する能力に欠けているらしい。日本語の「あおいいえ」とかは、西欧人には唸り声にしか聞こえないとか、そんなのに近いのかも。なので、UMLとかは Language とか称しているわけね。Diagram は彼らにとっては曼荼羅みたいな模様でしかないんでしょう。

イギリスで議論した時も、ホワイボード使うんだけど、書くのは型だったり。はい? 可換図ぐらいが限界なのか?

なんだけど、図や作図で議論したものは、必ず一階述語論理で書けます。そういう風にして作った理論に矛盾がないためには、それにモデルがあることが必要。モデルというのは、公理をすべて真にするような変数の値の集合みたいな感じ。例えば、非ユークリッド幾何学のモデルをユークリッド幾何学の中で作ると、非ユークリッド幾何学の無矛盾性がわかる、みたいな感じだな。相対論はリーマン幾何で、無矛盾性はそんな風に証明します。

なんだけど、ユークリッド幾何自体のモデルはどうするってな話があって、割と面倒。そこでのブレークスルーは、デカルトの解析幾何。つまり、(x,y,z) の数字の組みで空間上の位置を表すというもの。つまり、

* ユークリッド幾何のモデルは記号的に作られた

ってわけ。でも、解析幾何はピタゴラスの定理は仮定するので証明できません。つまりピタゴラスの公理ってわけ。ユークリッドだとピタゴラスの定理は三角形の回転とか合同とかを使って証明するわけだけど、そういうものを記号的に公理にするのは難しい。不可能ではないですけど。sin θとか微分とか使って。

これは一般的に正しくて、一階述語論理が無矛盾なら記号的にモデルを持つと言える。エルブランモデルとか言うらしい。つまり、

* 図で説明できることは、すべて記号で説明できる

つまり文章で説明できるってことね。写真とか絵とかを記号で説明するのは大変だが。

そういうことなんだけど、じゃぁ、図の優位性はどこにあるのかっていうと結構難しいかも。でも、可換図とかはわかりやすいか。文章で説明していくと、あれはここで、これはそこでというのが複雑。図だと線で一発。

結構、複雑な体験である図の解釈を文章でどう表現するかってのは、英語の論文を書く時には重要だってわけね。図書いて、図を見ればわかるとかはダメだってこと。

プログラムもプログラム自体は記号的だが、その実行は図式的だったりする。それを、さらに文章で表現してみるというのが重要な気がする。

文章の論理的つながりとか、数学の本の文のつながりとかを解析してくれるツールは欲しい気がするな。

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